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五月の雨

ただの雑記帳。描いた絵とか読んだ本とか考え事とか。

2017.1.2

 

物事には必ず価値というものがあって、その物事に従ってつけられていると思っているのですけど、多くの人々に触れられて価値が上がるものと、逆に価値が下がってしまう(陳腐になってしまう)ものがあるなあと、最近考えます。

 

何かを表現することは、自分の五感で感じたものを言葉や絵や音楽や動きや演技や、そういったものを媒体として、うまく形にして、他者へ伝えることだと思うのです。自分の五感で感じたものが其の儘ダイレクトに他者に伝われば文句なしなんですけど、そうはいかないし、自分が感じたものを表現することは本当に難しいです。表現することで、または表現するために錯誤を繰り返す中で、表現したいものの純度が失われることがあったりします。

 

特に言葉はそうで、自分の感情、起きている事象を明確に伝える為に、一番相応しい言葉を探して、繋げて、構成して、なんとも難しい作業です。

的確な言葉が無ければ、拙い表現を、相手が理解するまで繰り返す。

それでもいいんでしょうけど、なんだか押し付けているようで厭になります。

何度も何度も繰り返せば、その言葉の価値も、本当に伝えたいことの価値が下がってしまうような気もするのです。

これは伝え手の生き様みたいな、そういうのも投影されてくるとも思うのですけど、総合して何かを表現することって難しいです。

 

陳腐だなあ、とか、くどいなあ、とか、思われたくないのです。

説明することが嫌いなのに、伝わってほしいなあ、と思うものばかり募っていく。

矛盾してますが、その矛盾を無くす為に必要なものは、なんだかんだ技術なんでしょう。

一番手っ取り早いのかもしれない。

 

でも、結局は、作為的なものを人に見られるのが怖いし、作為を感じさせない工夫を身に付けたい。

本当は何も考えず、バババとやって、それが他者に伝えることが自然とできる天才が羨ましいですけど、生憎、僕はそういう人間じゃないので、地道に考えながらやっていきます。

2017年はそういう年にします。

 

 

何だか抽象的な文章になってしまいました。

ラーメン食べたい。