五月の雨

雑記

2017.6.12

 

何処かで尊敬の念を抱いている人には、良い所ばかり見せたくなるので、どうもいつもより良い子を、つまり違う自分を演じるのですが、凄いエネルギーを消費する上に、結局の所、自分の本当の「僕はな、ここが美味いんだぜ」と云う部分を隠してしまうのです。自信が無いが故でしょうか。

自己を解放することは幾分か自分に自信が無ければ出来ない事だと思うのです。まあ、美味しい所を隠したっていい事無いんですけど、それが他人にとっても甘露なものであるのか、酷く疑ってしまう。疑って疑って、この人はいけそうだ、と感じた人にだけ、初めて正直になれる。とんでもない人見知りであります。

 

あっけらかんとありのままの自分でずけずけと相手の懐に飛び込んでゆくことはとても危険なことですし、これこそ僕はコミュ障だと感じるので、其処迄はしたくないのですが(上手く意思疎通がはかれないことよりも深刻な問題だと思ってる)、うーん、いい歳こいて難しいです。

 

好きな物を好きと言えるだけいいのかなーと思っとります。揺らぎない部分をひとつでも持ってるだけマシかなーと。

 

なんかそんなことばかり考えていた一日でありました。要するに、尊敬する人を含んだ人間関係は面倒だってことをいいてーのです。

 

 

まーなんとかしていくしかないでしょー

 

2017.6.11

 

此処はもう必要無いかなーと思っとったんですけど、また始めようかと思います。

 

Twitterでもいいんですけど、今の僕だといつもに増して、暗い内容だとか、意地汚いことだとか、何だかあんまり好かれない政治宗教の話とか、そう云うことばかり書いちまう気がするので、己の見識くらいは己の場で書いた方がいいんじゃないかと思ったのであります。そうなると、やはりこの雑記帳は必要でありました。

 

ここ1ヶ月、肺をやられていてずーっと病院と家の往復です。体調が悪いので布団でうだうだしてる日々です。なーんも生み出せないし気力も起きません。非常に自堕落で非生産的な毎日を送っております。

 

いつもより沢山眠っているので、夢は沢山見ます。その夢たちも病気になる前に比べて、不可思議なものばかりを見るようになったので、逆にこれを書き留めて自分の何らかの作品にできるんじゃないかなーとか思ったりしてます。いつもは本とかから色々影響受けるんですけど、今は本を読む気にもなりません。そんな中で唯一インスピレーション受けられるものは自分の夢だけであります。

 

 

夢と云うものは、自分の体験したことや記憶しているものから作られていると聞きます。全く体験したことのないものでも、何か普段読んでる小説や観た映画によって疑似体験をして、それが反映されることだってあるのです。それ以外は、全部前世の記憶だと思っとります。

 

そう考えると何も体験しないように、外との関係を全て遮断し続けて見る夢は、古い記憶からしか材料がなくなるので、どんな風になるんだろうかと思うのであります。記憶という材料は枯渇することはないし、今は思い出せなくても脳味噌の奥の奥の引き出しの中に確かにしまっていることだってあると思うので。

 

ともかく夢を材料に何かを作りたいです。夢日記も兼ねてここを使っていこうかなーと考えております。取り敢えずはやく肺を綺麗にして元気になりたいです。そうしたら、それこそすっかり枯渇した気力が何かぶつぶつ言い出すと思うのです。

 

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躑躅の花が終わったようです